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H&K UMP()は、ドイツのヘッケラー&コッホ(H&K)社が開発した短機関銃。 == 来歴 == 1950年代後半から1960年代にかけて、西ドイツ(当時)のH&K社は、同社のG3自動小銃を元にした短機関銃としてMP5を開発した。これは、1966年に同国の連邦国境警備隊に採用されたのを皮切りに、同国の地方警察でも多くが採用された。また、1977年のルフトハンザ航空181便ハイジャック事件で、連邦国境警備隊のGSG-9が突入作戦を成功させた際にMP5を使用していたことが喧伝されたことから、ドイツ国外の対テロ作戦部隊でも広く採用されるようになり、同種部隊の標準的兵器と呼ばれるまでになった。 MP5は、100メートル以内の射程であれば狙撃銃にも匹敵する射撃精度を誇る一方、構造的に複雑で単価が高く、野戦用短機関銃として軍隊が大量配備するのには不適であった。このことから、アメリカ軍の統合小火器計画局(JSSAP)は、発展型9ミリ短機関銃計画として、MP5よりも安価で、かつ高性能の短機関銃の開発を各社に要請した。これに応じて、H&K社はまず1981年にSMG-Iを、1984年にはリアサイトなどを変更した改良型としてSMG-IIを開発した。JSSAPの短機関銃計画が中止されたために、これらの短機関銃はいずれも製品化に至らなかった〔。 また、1980年代末から1990年代初頭にかけて、MP5の後継を模索するなかで、SMG-I・IIの実績を踏まえて、その素材をポリマー化したMP-2000、また、MP5の量産性を向上させるために閉鎖機構を単純なブローバックにしたMP5 PIP()が開発された。しかし、予測に反して、MP5の販売実績は依然として好調であり、あえて後継機を市場に投入する必要性が薄くなったことから、これらも製品化に至らなかった〔。 しかし、このころ、アメリカ合衆国を中心としてMP5でも用いられていた9x19mmパラベラム弾について、ストッピングパワーの不足が懸念され、拳銃は.45ACP弾や.40S&W弾といった大口径化が志向されるようになっていた。H&K社でも、アメリカ特殊作戦軍(SOCOM)の要請に応じて.45ACP弾を使用するH&K MARK 23を開発した。これと歩調をあわせて、同規格の弾薬を使える短機関銃が求められるようになったことから、MP-2000などのノウハウを踏まえた大口径短機関銃として開発されたのが本銃である〔〔。 なお、当初は同社製品間での住み分けのため、本銃は.45口径、MP5は9mm口径とされていたが、のちに要請に応じて、9x19mmパラベラム弾仕様のUMP9や、.40S&W弾仕様のUMP40も市場に投入されるようになっている〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「H&K UMP」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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